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15年前に起こったことと、22年前の思い出 

1987年4月から88年3月まで、神戸商科大学(現在の兵庫県立大学)一年生の時、産経新聞奨学生として新長田の専売所に住み込みで新聞配達をしていた。
毎朝毎夕、自転車に山盛りの新聞を積んで、新長田の駅を中心に走り回っていた。

この「新長田駅北地区震災復興土地区画整理事業」HP(http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/urban/adjustment/jl00043.html)の「付近図」(http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/urban/adjustment/img/nagata.gif)で新長田駅から西代駅まで赤く塗り潰されているエリア、そして新長田を軸に南の海側に同じくらいのエリアを延ばした部分までを正方形で括った中の殆どを担当していた。

海側は特に住宅や小規模工場、小規模倉庫の密集地域で、自転車がやっと通り抜けられるような細い路地なんかもたくさんあった。


15年前の朝、名古屋のワンルームマンションの6Fで震度4の揺れで叩き起こされた。
会社でTVを見て愕然とした。
新長田は特に火災の酷いエリアのひとつだった。
僕が走り回っていたエリアは、赤い炎と真っ黒な黒煙が渦巻く地獄絵。

報道で耳にした言葉に、悔しくも納得せざるを得なかった。
「新長田エリアはケミカルシューズの一大生産地で、石油化学製品が狭いエリアに大量に蓄積されていたから」
加えて、上で書いたように密集エリアだったから。
木造家屋もかなり多かったように記憶している。

昨夜の「神戸新聞の7日間」(http://wwwz.fujitv.co.jp/kobe/index.html)、最初の数分で泣けてきた。
ドラマなのでドラマチックに作ってある、という部分を差し引いても、大学生時代に4年間を過ごし今でも大好きな神戸を思うと、ドラマOA中、何度も泣けた。

折りしも今、足をひどく捻挫し松葉杖の使用を余儀なくされ通常生活に支障をきたしているので、当時の被災現場の生活を思うと。

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